2008.11.16 Sunday

路線バス乗りつぶし 千葉交通編 その1

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    ●千葉交通 宗吾線 JR成田駅中央口→宗吾霊堂


     今回は千葉県成田市周辺を運行している千葉交通のバス路線のうち、運行回数の少ない宗吾線(旧称:甚兵衛線)に乗ってみました。
     かつては佐倉市から銚子市まで幅広い路線網を持っていた千葉交通ですが、モータリゼーションの進展により、次々と過疎路線を廃止またはコミュニティバス化するなどして、現在の一般路線は成田・富里周辺と銚子・小見川・旭周辺のごく限られた地域に運行されるだけとなってしまいました。
     しかも、残った成田地区の路線も成田・富里の各ニュータウンへの輸送を主体としたものとなり、今では成田空港へのバス路線すらほとんど撤退となっていて、東京の通勤圏とは言っても、少し郊外へ出ただけで路線バスの置かれている苦しい実情を垣間見てしまう気がします。

     このように過疎路線はほとんど切り捨てられてしまった現状なので、そもそも運行本数の少ない路線自体がほとんど無いのですが、「JR成田駅中央口」から「宗吾霊堂」を結ぶ「宗吾線」が一日3往復運行されるだけのマイナー路線(?)となっています。

     乗車当日は平日で、成田駅発2便目の12時00分のバスに乗車しました。ちなみに3往復の便は曜日に関わらず、全て同じダイヤで運行されています。

     やってきたバスは成田営業所の三菱エアロミディMK・ワンステップ車で、車両そのものはごく普通に今どきの仕様のものでした。成田駅からは私を含め2名が乗車しました。
     発車後JR駅前をグルッとまわって、次の「京成成田駅」バス停で2名が乗車し、これでこの日この便の乗車は終わりで、あとは降りていくばかりでした。いずれも乗客は高齢者の方々で、マイカーが利用できない人たちです。私以外の客は全員顔見知りといった様子で、いつも同じ時間帯のバスを利用されているのでしょう。

     バスは成田街道(別称:一本松通り)を西に進みますが、この道の一部はかつての成宗電車の廃線跡だとされています。成宗電車とは成田山門前から宗吾霊堂の間を結んでいた軌道線で、参拝客の利用を当て込んで敷設されたものでしたが、戦時中の1944年に不要不急路線として撤去されてしまい、以後復活することはありませんでした。今乗っている千葉交通のバス路線は、それを今に引き継ぐもので、一日わずか3往復となっても千葉交通発祥の路線として維持されているようです。

     「不動ヶ岡」バス停で1名が下車し、「整備工場」バス停の先でJR成田線の踏切を渡ります。さらに「一本松跡」バス停の先で宗吾街道へ右折。「日赤病院」を通過し、その先日赤病院前交差点から国道464号線となります。
     「JR成田駅」から「飯田新田」までは「八代・湯川線:JR成田駅〜ボンベルタ・湯川車庫」線が並走しており、そこまでは結構多頻度に運行されていますが、以降は「宗吾線」の単独区間となります。また、2003年1月まではちばグリーンバス(←京成バス)の日赤線も「日赤病院〜公津の杜駅」間において並走していました。

     「飯田町坂上」バス停の先を左折して、いったん京成線の「公津の杜駅」に立ち寄ります。ここは京成電鉄が開発した住宅地で、同線で最も新しい駅ですが、ここを発着する一般路線バスは今ではこの「宗吾線」上下各3便ずつだけとなってしまいました。
     わざわざ駅前に入ったものの、乗降はなく通過となります。

     再び国道464号線に戻り、ここから先は風景が住宅地からローカルなものへと変わっていきます。
     「金堀住宅入口」バス停で、さらに1名が下車し、程なくすると終点「宗吾霊堂」に到着。所要時間は14分、運賃は280円でした。
     以前はここからさらに印旛沼の畔の「甚兵衛機場」まで運行されていましたが、路線をここまでに短縮し、さらにその後も削減が続いて今の形となりました。


    ↓宗吾霊堂の本堂


    運行形態:C、路線図掲載:◯、乗車難易度:★★☆☆


    ●千葉交通 創立100周年記念バス 宗吾霊堂→成田山門前


     「宗吾霊堂」から折り返しに乗車するのは、千葉交通が前身の成宗電気軌道(成宗電車)の創立から今年でちょうど100周年を迎えるために記念で臨時運行されたボンネットバスです。2008年11月9日〜23日の15日間、毎日5往復するもので、西東京バスのボンネットバス「夕焼け小焼け号」が引退してから、首都圏では久々の営業運行となります。

     先ほど乗ってきた宗吾線のバスで「宗吾霊堂」に着いた時点で、すでにボンネットバスは先に到着していて、手前の駐車場で待機していました。バスのまわりには何人かバスを撮影したり見学していましたが、平日ということもあってノンビリしていました。私も何枚か撮影させてもらいました。
     
     10分ほどして宗吾線のバスが発車すれば、そのあとは次のボンネットバスの発車まで乗り場には他のバスは入ってこないため、駐車場から乗り場へバスを移動。まだ発車まで20分以上ありましたが、車内で待ってても良いとのことなので、そうさせていただくことにしました。停車中も国道を行くクルマから今では珍しいボンネットバスをジックリ眺めていく人々も大勢いました。

     このボンネットバスはいすゞBXD30・川崎ボディで、本来は個人所有のものを借り受けて、一時的に営業ナンバーを取得して営業運行に供するものです。車体塗色は当時の千葉交通のものをラッピングにより再現してありますが、それは塗装と見まごうほどの仕上がりでした。すでに40年以上前の年式のバスとのことですが、状態はすこぶる良好で、懐かしい腕木式方向指示器(いわゆるアポロ)も装着されていました(営業運転では未使用でした)。
     運転士の他、車掌も乗務しており、ご本人はやはり当時現職だった方だそうです。
     発車時間が近づくと、先ほどのノンビリムードはどこへやら、車内はいつの間にかラッシュ並みの混雑に。客室はそれほど広くはないので、25名ほどしか乗っていませんが、車内はもはやギューギューといった感じです。

     運行経路は宗吾線の通常便とほぼ同じで、途中「公津の杜駅」に寄らないのと、当時の成宗電車に合わせ、「成田山門前」まで行くことが異なります。運賃は100周年にあやかって「100円」というサービス運賃。混雑した車内では車掌さんが乗車券の販売にまわり、ほとんどの乗客は200円の記念乗車券を購入。私はその他に一回乗車用の100円車内券も買いましたが、これは千葉交通の常備券でした。でも今ではこれもなかなか手に入りにくいものではないでしょうか。

     さて、12時50分、定刻通り大勢の乗客を乗せて出発したバスは、なかなか快調な走りを見せます。宗吾霊堂からしばらくは長閑な風景でしたが、公津の杜付近では新しい住宅地とのミスマッチもまた見所です。
     
     バスはツーマン運行のため、テープによる放送はなく、車掌さんによる肉声案内。現役時代の苦労話なども披露され、当時はたくさんの乗客のため、車掌は走行中のドアにぶら下がって乗務したことや、上司から叱られた思い出話など車内は和やかなムードでした。
     
     途中停車は「京成成田駅」「JR成田駅」の2か所のみで、それぞれで数名が下車しましたが、ほとんどの乗客は終点まで乗っていました。
     途中降車の客は車掌に挙手すると、「次、ねがいま〜す」と運転士に伝えるのも当時のやり方です。

     「JR成田駅」を出ると、これまた当時の成宗電車の線路跡である電車道を通って「成田山門前」に向かいます。この途中には2か所のトンネルがありますが、これも電車当時のものを活用しているそうで、トンネル上部には架線を吊っていた金具と、その歴史を示す碑が建てられています。

     そして所要19分で、終点「成田山門前」に到着。文献によればこのバス停の位置がまさに当時の電車駅の跡地とのことでした。ちなみにこのバス停からはJRバス関東の多古線(成田駅〜三里塚〜多古〜八日市場駅間)も出ており、ちょうどこのボンネットバス到着直後に三里塚行きのJRバスが通過していきました。

    ↓記念きっぷはパンチを入れて返してくれます。

     何事もノンビリしていたあの時代、今初めてこのボンネットバスに触れる人たちにも、あの頃の古き良き時代の雰囲気が伝わったのではないでしょうか。


    運行形態:F、路線図掲載:×、乗車難易度:★★★★(特別運転) 
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